母の一生:エピソード2

リンゴの選果場で働いていた母の話から始まります。

彼女は若くして仕事に慣れ、21歳の時、お見合い話が出ました。お相手は、隣町に住む6歳年上の男性でした。しかし、このお見合いの背後には、驚くべき出来事がありました。

 

後から分かったことですが、父は母の姉を見かけ、彼女に惹かれました。

しかし、母の姉は既に結婚相手が決まっていたため、父は彼女に近づくために妹である母とお見合いをすることを決意したといいます。

 

お見合いの際、母の両親は、絶対に結婚して欲しいという思いから、まとまった現金を母にもたせたと言われています。その理由は、母に「知的障害」があったためでした。障害があったために、これを逃すと嫁の行きてがないと考えたようです。

 

母と父は結婚し、父は家族の長男であったため、両親と共に同居生活を始めました。家族構成は、曾じいさん、曾ばあちゃん、おじいさん、おばあさん、夫、夫の弟2人、妹1人、母を合わせて9人でした。

 

当初、家には洗濯機もなく、母は家族全員の衣類を手洗いしなければなりませんでした。掃除も1人で行って言いました。誰も助ける人は居なかったそうです。

 

農家であるため、米や野菜も栽培し、料理も9人分を一人で作らなければなりませんでした。その中で、母が心を込めて料理を作る一方で、味付けの違いから、おじいさんからの怒りも受けることが多かったそうです。ひどく怒鳴られると、母は逃げ出し小屋で子供のように「わんわん」大声を出し一人泣いていたようです。しかし、母は決して希望を失わず、愛情を込めて家族のために尽力しました。

 

金銭の計算が得意でなかった母は、貯金通帳を父が管理しました。光熱費、上下水道費、税金などは農業収入から支払われましたが、食費などは母一人の収入で賄われました。時折、食費が足りなくなっても、父からの援助は受けなかったと言われています。母の負担は非常に重かったでしょう。

 

母は知的障害を抱えながらも、家族のために尽力し、愛情を注ぎました。

 

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エピソード3に続きます。