母の一生:エピソード1

母は、昭和11年、田舎の農家で生まれ育った母は、兄弟の中でも3番目に生まれました。彼女の家族には、兄2人、姉、そして腹違いの妹がいました。しかし、現在、彼女の妹だけが生き残っています。母が3歳のとき、産みの母親がわずか40歳にして病気で亡くなりました。これが彼女の人生に影響を与えることとなります。

 

継母によって育てられることとなった母は、特に妹が生まれると継母からのいじめに遭うようになりました。母の父親が見ていないところで、継母がイライラして、理由なく母を殴ったり、妹の世話を母に押し付けたりしました。母は小学校に通う際、妹を背負わされ、妹がオムツにおしっこをするとクラスに尿臭が広がるため、廊下に出てオムツを替えることもあったそうです。妹がお腹が空き泣くとクラスのみんなに迷惑が掛かることから、泣く度に家まで帰っていたそうです。

 

このような過酷な状況の中で、母は生まれながらに「知的障害」があったようです。そのため、勉強する余裕もありませんでした。掛け算の九九すら覚えられず、クラスの仲間から取り残されました。

 

小学校3年生のとき、母の人生に重大な出来事が起こりました。クラスにいたずら好きの男の子が、母が座っている席で母の左耳の近くで膨らませた紙袋をたたき割り、大きな音を出して驚かせようとしました。しかし、その結果、母の左耳の鼓膜が破れてしまい、彼女はほとんど聴力を失ってしまいました。この出来事は彼女の人生に大きな影響を与えました。さらに、兄弟からの援助も受けられず、中学校に進学する際に勉強についていけない状況に直面し、卒業することができませんでした。

 

母以外の兄弟は成績が優秀で、継母からのいじめを受けることはありませんでしたが、母だけはその標的でした。勉強ができないことから、兄弟からバカにされることも少なくありませんでした。母は中学校を卒業できなかったため、特別に14歳からリンゴの選果場で働くことになりました。

 

彼女の人生は困難な状況に包まれていましたが、彼女の心には強さと決意が宿っていました。彼女は知的障害と聴力の損失にもかかわらず、家族や社会からの困難を乗り越えて生きてきました。彼女の苦境は、彼女の信念と意志力を鍛え、彼女は生活に希望と喜びを見出すことができました。

 

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エピソード2に続きます。よろしければ、続きもお読みいただけたら幸いです。